関西のブラックバスは何処から来たのか?

東条湖のバス
東条湖
バス


 関西のブラックバスは、何時何処から来たのか知ってる? 関西には、琵琶湖や池原ダムを始めとする有名なバスフィールドが無数にあります。その為、バスフィッシングの人気は、全国でも最も高く、今さらブラックバスと言う魚を知らない人はいないでしょう。 しかし、空前のバスブームを巻き起こした関西のブラックバスは、何時何処から来たのかを知らない人も多い様です。一説によると、今問題視されている心無い釣人の闇放流だとか、バスに関連するメーカーの仕業だとか様々な説がありますが、実は関西のバスはアメリカ本土から持ち込まれたバスなのです。それも、闇放流では無く漁協の許可を受けて放流されたバスなのです。 日本で初めてブラックバスが持ち込まれたのは、明治4年に赤星鉄馬氏によってアメリカから神奈川県の芦ノ湖に放たれた事は良く知られていますが、関西のバスも同じで1969年に関東の貿易会社が既に管理されている富士五湖に入れる為に、ペンシルバニア洲のピッツバーグから輸入したバスなのです。 その内、約3,000匹が加古川漁協の管理する兵庫県の東条湖に放たれたのですが、何故?この様な話になったのかと言うと、当時日本初の釣り番組「イレブンフィッシング」で服部名人と共に大阪支部長として活躍された中井戸嘉彦氏がヘラブナ釣りの取材で兵庫県の東条町にある東条湖を訪れた際に、東条湖を管理している加古川漁協の人に相談して許可を得て東条湖に放流されたのが、最初と言う事です。1999年の秋に、中井戸氏は亡くなられましたが生前にこの話を良く聞かされたので、間違いの無い話だと思います。 放流された頃、私はまだ小学生で中井戸氏の経営されていた十字屋釣具店で、この話を聞きよく東条湖に通ったものです。 1971年頃には、東条湖の湖岸でルアーをキャストする釣り人の姿を見かける様になりました。 とは言っても、まだルアーでブラックバスを狙う釣り人はまばらで、タックルも今ほどの種類はありませんでした。 その頃、唯一ルアーを売っていたのが、青いテントがトレードの十字屋釣具店だったのです。 そして、1975年頃になると関西の至る所の池や湖でブラックバスが釣れる様になり、琵琶湖でもちらほらとバスの話が聞かれる様になりました。 おそらく、それから後のバスは、釣り人によって持ち出されたものと思われます。東条湖で、バスを釣っている人の中にバスを持ち帰って近所の池に放流するのだと言っていた人も何人か見た事があります。 早かれ遅かれ、関西にも何らかの形でブラックバスが持ち込まれる事になったでしょうが、恐ろしいのは、一部の釣り人が行ったブラックバスの闇放流の為迷惑している人もいるというのは事実ですが、また、それを害魚とし全面駆除と言うのも可笑しな話だと思います。 今こそ、ブラックバスを有効利用する事を考えるべきだと思いませんか? 関西で初めてブラックバスが放流された東条湖は、すでにヘラブナ・ニジマス・コイ・ワカサギを漁業権魚種として認可していた訳で、ブラックバスも漁業権魚種として、受け入れられたのも当然な成り行きでした。 そして、中井戸氏はそこ迄予測していたのかも知れません。

東条湖での当時の
タックル




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