探検釣行記
沖縄県宮古島 国内編


エメラルドグリーンの宮古の海

沖のパナリにて




沖縄県の宮古島は、もともとダイビングポイントとして脚光を浴びた島で、池間や八重びし等他の島には無い有名なスポットがあります。島全体が美しい珊瑚礁に囲まれており、又その周辺には現地でパナリと呼ばれるリーフが無数にあります。1990年頃からトレバリーフィッシングのガイドサービスもオープンし、一時は‘トレバリーの島’とまで言われたくらいトレバリーの濃い島だったのですが、オーバーフィッシングの為か最近は当時に比べれば、本当にいなくなってしまいました。しかし、島の美しさと島民の人柄の良さに引かれて島を訪れる人の数は、今も変わりません。私も初めて宮古島に釣りに行ったのは、1992年の事でした。「ボートキャスティング」と言う週刊釣りサンデー発行のビデオのロケでトレバリー狙いに行ったのが最初です。この時は、100オーバークラブの永井誠一氏とカメラマンの吉田氏と中田氏の4人で、この島に乗り込んだのでした。この頃はまだ、大阪、東京からの直行便が無く、1度沖縄本島の那覇で乗り換えなければなりませんでした。ガイドサービスは、あの有名なトラ坊こと奥平総さんのプロッショップ・ガーラでした。ガイドの奥平氏は、もともと宮古島の海人(うみんちゅ)で宮古島の海を知り尽くしたベテランガイドです。



オールタックル日本記録のカスミアジ

日本記録更新の瞬間!


2日間の日程でロケを行ったのですが、初日は波も高くボートがリーフに近づけなかった事もあって、かなり苦戦をしいられたものでした。しかし、永井氏はポッパーでカスミアジの5キロクラスを釣りました。私は、ミーバイ(ハタ)やタマン(フエフキダイ)ばかりで、肝心のトレバリーはノーヒット。それでよし?と言う事で、そもそも今回は永井氏が主役のビデオで、私はサポート役と言う事で乗り込んでいたので、先ず永井氏に釣って頂かなくては・・・と言う事で体力を使い過ぎない様、かなり手を抜いていたつもりなのですが、釣りを始めるとついつい力が入ってしまいます。そして、後半の2日目、この日は波も無くまずまずのコンディション。トラ坊が「今日は、下池島の東リーフをやろう」と言う事で、ボートを走らせていたのですが、前方に何やら黒く大きい影が・・・近づいてみると、何とマンタの大群。それも何十匹もの群れが、ホバーリングしていました。しばらくはマンタに見とれていたのですが、今日が最終日と言う事で急いでポイントを目指しました。そして、ポイントに到着、早速永井氏がキャストを開始、カメラマン兼ディレクターの中田氏が「昨日永井氏のカスミアジの絵が撮れたので、松浦さんも今日は前で投げて下さい」とのお許し。私も今まで手を抜いて溜めておいた体力を、こことばかりに発揮しマシンガンキャストならぬマシンガンポッピングを繰り返しました。そして、逆にトレバリーのヒット!何度もフックアップの為アワセを入れてファイティングポジションに。最初は勢い良くラインを出されたが、しばらくやりとりしていると次第に動きが弱まり永井氏のアドバイスもあって、水面に姿を現したのでした。そこで、驚いた事にロウニンアジだと思っていたのが、何と丸々太ったカスミアジだったのでした。永井氏にギヤフを掛けて取り込んでもらったカスミアジを見て、トラ坊が「10キロ近くあるよ」との事。まさかと思いバネ計りで計ってみると9.5キロ。カスミアジにしては、かなりのランカーサイズでした。後の正式計量の結果、20ポンドクラスの日本記録となったのです。それもキャストからランディングするまで、カメラマンがワンシーンで撮っていた為この映像は是非とも使いたいと言われ、永井氏主役のビデオのはずが、2人とも出演のビデオになってしまったのでした。まさか、こうなるとは・・・。それも、たまたまこの時使ったロッドは自分のでは無く永井氏のタックルだったのです。今から思えば、このビデオは大変苦しい作りの、しかし大変臨場感のあるビデオに仕上がったのでした。そして、我々は、宮古島を後にしたのでした。これは裏話ですが、大阪に帰ってビデオの編集で吹き替え録音の際に永井氏はNGばかり、私は何を喋っていいかわからず、ディレクターの指示のままに喋るのがやっとでした。どちらも慣れん事はするなと言う事でしょうか?


根魚のバラハタも!

カスミアジ

ツムブリも!

バラクーダ



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