探検釣行記 国内編
三重県 錦


ヒットの瞬間

2時間経過、この頃はまだ余裕が・・・



毎年6月になると紀伊半島の沖に黒潮が接近し、水温も25℃位に上昇します。その黒潮に乗って、カジキがやって来ます。紀伊半島の沖で釣れるカジキの中で最も多いのが、クロカジキ(ブルーマーリン)で中には400Kgを越えるものもいます。その他にも、シロカジキ(ブラックマーリン)それに、バショウカジキやフウライカジキが釣れる事もあります。三重県の錦には、トローリングでカジキを狙う事の出来るチャーター船もあり、毎年シーズンになると予約でいっぱいになります。私も以前、シイラのボートプラッギングが流行った頃、クラブメイトとシイラを狙ってよく、錦に通ったものです。1994年の9月にも、シイラのキャスティングで6人でボートをチャーターし、錦沖へ出港しました。この日は、私とクラブメイトの浅井啓司氏、それに100オーバークラブの永井誠一氏の他で、キャスティングとジギングで出港しました。午前中に既にシイラの入れ食いを堪能し、そろそろ錦港へ向けて船を走らせていたのですが、その時自分で作った自信の白蝶貝とアワビの8面貼りトローリングルアーを試したくなり船長にお願いしたところ、80Lbテストのロッドで曳きながら帰ろうと言う事になりました。


3時間を過ぎてのファイト

ランディングの瞬間


曳き始めて、10分もしない内にルアーの後にヒレをたてながら追尾してくるカジキの姿を確認。すぐさま、船長が船速を上げルアーにアクションをかけたかと思った瞬間、ストライク!けたたましく鳴るリールのクリック音と「カジキ ヒット!」の声に一時は船上がパニック状態に。私もロッドポストからロッドを抜いたものの、この船にはファイティングチェアーが無く、しばらくはロッドを抱え込んでのファイトとなってしまいました。その内クラブメイトの浅井氏が、ビール瓶箱と鍋のふたで、即席のファイティングチェアー?を用意してくれました。しかし、揺れる船の上でのファイトは想像以上に大変で、何度も転んでしまいました。ラインは一気に500メートル程出され、遥かかなたでカジキの跳ねるスプラッシュが見えました。船長は、ラインの方向を見ながら巧みに操船していましたが、その内ラインの出が緩くなりピタリと停まってしまいました。どうやら、このカジキは深く潜り過ぎて水圧死してしまったらしく、全く動かなくなってしまいました。これが、よく言われる「カジキの自殺」ってやつか・・・?聞く所の話によると、カジキはプライドが高く自分の最後を敵に見られたくない為、海中深く潜って自殺するのだとか・・・。魚探を見ると、水深は約900メートル。ラインは尚も500メートル程度出ていましたが、考えてみば水面下500メートルにカジキが宙づりになっている訳で、80ポンドラインで巻き上げるとなると、大変なファイト(作業)となってしまったのです。カジキには、浮袋が無く死ぬと沈んでしまう為リールを巻いて引き上げるこなると、ハンドルを半回転づつ巻き取りながら徐々に、引き上げないと簡単にラインが切れてしまいます。ヒットしてから、既に1時間以上経つのにカジキは以前、宙づりの状態。その内うるさい乗組員?からのブーイングの声が・・・(腹が減ったとか)船酔いしていたT氏からは‘やっと帰れると思ったのに’とか、N氏からは‘根がかりしているのと違うか’とか最後には‘切れればいいねん’とか、ブーイングの嵐にあってしまいました。私も、ラインが切れてカジキを逃がす事にさほど惜しくは思わないのですが、何と言っても精魂込めて作り上げた白蝶貝とアワビの8面貼りルアーを失いたくなかったのです。2時間が過ぎ3時間が過ぎ、私も体力の限界に来ていました。振返るとうるさい乗組員達は、キャビンで熟睡状態。そして、日もすっかり暮れた3時間45分後、ショックリーダーを尾ビレに巻いたカジキが水面に姿を現したのです。すると、再び船上はパニック状態に。‘早くギャフ持って来い’とか‘でかい’とか‘写真撮れ’とか言っている間に、怪力で有名なN船長がビル(角)を掴み引き摺り挙げたのです。うるさい乗組員達とも握手を交し、‘良くやった’と祝福され錦港へと帰港したのでした。計量すると、120キロあり、船宿で魚拓まで取って頂きました。私もうるさい乗組員達に、3時間45分のファイトに付合ってもらったと言う事で、帰りに食事をご馳走しました。しかし、つい先日永井誠一氏とその話をしていたら、その時は‘ラーメンしかおごってもらっていない’と、突っ込まれてしまいました。チクショーよく覚えとる。(汗)


ランディング成功!

お決まりの写真




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