SPLASH WORLD

SPLASH WORLD〔スプラツシュ ワールド〕

 
現 在、SPLASHのメンバーは関東方面から中部名古屋・近畿・中国・山陰・四国・九州それに小笠原と広い範囲で散らばっている為、メンバー全員が一同に集まる事 は出来ません。 そこでメンバー同士のコミニュケーションの為に、近況の報告を1冊の小冊子にまとめたクラブ会報〔SPLASH WORLD〕を発行しています。
 内容は、近況の釣果報告の他に、シークレットポイントガイドやとっておき!の必殺テクニックなど何でもありで、過去の栄光や女性遍歴に至るまでかなり濃い!マニアックな内容となっています。
その他にも、クラブメンバーの通信欄や売りたし・買いたしのコーナーでは、要らなくなった釣具や秘蔵のお宝(?)等を売買できるコーナー等、盛り沢山です。
 会報の編集はSPLASHのレディースメンバー、中野かおり(??歳)がメンバーから送られて来た原稿をコピーし、小冊子にまとめ再びメンバーの元へ送ると言うシステムです。




(注:会報〔SPLASH WORLD〕は、メンバー専用のため、一般配布は致しておりません)



創刊号

NO.2

NO.3 
1993年
クラブ発足3年目、メンバー間のコミュニケートとお互いの釣果報告を目的に会報誌<SPLASH WORLD>を発刊することになりました。年3回の発刊で当時はまだメンバー数も少なかった為、会報の表紙は、なんと手書きで書かれていました。


NO.4

NO.5

NO.6
1994年
この年からメンバー数も20名を超え、SPLASH WORLDも会報らしくなって来ました。淡路島や日本海のメンバーからの釣果報告や連載記事、宇井晋介の(釣魚図鑑)や看護婦ナース日高の(こんな時どうする?)等大変内容の濃い記事が送られて来ました。


NO.7  

  NO.8

 NO.9
1995年
この年の1月にあの阪神淡路大震災が近畿地方を襲いました。淡路島に住むメンバーから送られて来た生々しい震災のレポートにはメンバー全員が胸の痛む思いでした。又、この年からクラブ会報への記事の投稿が義務付けられました。文章の苦手な人には残酷な企画かも?


 5周年記念号

 NO.11

 NO.12
1996年
この年はTEAM SPLASHの創立5周年目にあたるのとSPLASH WORLDが10回号を迎えたため、10th ANNIVERSARYを発行しました。又、特別企画として投稿されたメンバーの記事に対し、BOSSの松浦氏から辛口のコメントを頂きました。岡山(瀬戸内)のメンバーも加わり会員数は30名に


NO.13

NO.14

NO.15
1997年
この年にはSPLASHのメンバーも40名を越え増々活動が充実してきました。海外遠征のレポートを送ってくる人やハンドメイドのルアーを紹介する人等、又、SPLASH WORLDの中に<売りたし、買いたし>のコーナーやメンバー間の連絡の手段として(SPLASH通信)の欄も設けました。


NO.16

NO.17

NO.18
1998年
この年のSPLASH WORLDの表紙は、松浦氏の知人でプロのイラストレーターにお願いしました。ところが、NO.17、18の過激な?表紙は不評で、メンバーの話によると、送られて来た際、エロ雑誌の広告と間違われて嫁さんに捨てられてしまったとか・・・。インパクトのあったレポートはNO18の櫻井由隆氏のレポートで、通いつめたあげく、やっと手にしたアカメは読む人にも感動が伝わってきました。


NO.19

NO.20

NO.21
1999年
表紙のイラストはメンバーの櫻井 由隆氏のオリジナル。裏表紙のカットは竹野の林 孝紀氏がデザインしています。この年からメンバーが50名を越えた為、市販のホッチキスではとじきれなくなり、会報の原稿提出は1人につきA4用紙1枚に決められました。


NO.22

NO.23

NO.24
2000年
この年の表紙のデザインは竹野の林 孝紀氏が担当。裏表紙のイラストは櫻井 由隆氏が担当した。目立った内容としては、名古屋の宮島 康彦氏が90キロのマカジキ(幻の日本記録)を釣ったレポートや松浦昌治氏のカナダのジギングで根魚入れ食いのレポート等


NO.25

NO.26

NO.27
2001年
NO.25では鳥越 裕之氏のレポートで釣り場でのゴミ問題やマナーについて考えさせられました。NO.26では、名古屋の森 武彦氏が渓流魚の事についてのレポートを送って来ました。NO.27では松本 泰司氏のサメのレポートもメンバーの感心をひきました。


創立10周年記念号

NO.29

NO.30
2002年
この年はSPLASHの創立10周年にあたる為、10周年記念号を発刊しました。記念号の内容は代表の松浦氏にクラブ発足当時のエピソード等を、相談役の百合本氏にもレポートを提出していただきました。又、この年からSPLASHのホームページが開設され表紙にホームページアドレスが入りました。


NO.31

NO.32

NO.33
2003年
レポートを見る限りこの年は全体的に釣果に恵まれない年でした。それに宇井 晋介氏のレポート(イワシが消える日)を読んでみると、様々な魚達を支えている小魚の重要性について再認識させられました。目立ったレポートはNO32の栗本有平氏のレポートです。氏の磯へのこだわりと、ヒラスズキに対する思い入れが臨場感あふれる実釣の文章で伝わってきました。


NO.34

NO.35

NO.36
2004年
この年は異常気象とも言える年でした。
目立った記事はNO.35の藤岡 学氏とBOSSの五島列島遠征のレポートでした。二日間でヒラスズキ76本。96センチのヒラスズキの写真は迫力物でした。しかし、JGFAではヒラスズキのバックリミットをオールリリースとし、この事に対する意見も多数寄せられました。


NO.37

NO.38

NO.39
2005年
さらに会員数が増えたため、遂にスプラッシュワールドが市販のホッチキスで閉じきれなくなってしまいました。そこで、クラブの会則を一部改訂し、十年以上在籍しているクラブメンバーに関しては、(会報の提出は自由)ということになりました。それでも、提出してくる編集部泣かせのメンバーも・・・・・・。
この年はアカメやイトウ等、ショアから釣るアングラーの活躍が目立ちました。




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