SPLASH WORLD

SPLASH WORLD〔スプラツシュ ワールド〕

 
現 在、SPLASHのメンバーは関東方面から中部名古屋・近畿・中国・山陰・四国・九州それに小笠原と広い範囲で散らばっている為、メンバー全員が一同に集まる事 は出来ません。 そこでメンバー同士のコミニュケーションの為に、近況の報告を1冊の小冊子にまとめたクラブ会報〔SPLASH WORLD〕を発行しています。
 内容は、近況の釣果報告の他に、シークレットポイントガイドやとっておき!の必殺テクニックなど何でもありで、過去の栄光や女性遍歴に至るまでかなり濃い!マニアックな内容となっています。
その他にも、クラブメンバーの通信欄や売りたし・買いたしのコーナーでは、要らなくなった釣具や秘蔵のお宝(?)等を売買できるコーナー等、盛り沢山です。
 会報の編集はSPLASHのレディースメンバー、中野かおり(??歳)がメンバーから送られて来た原稿をコピーし、小冊子にまとめ再びメンバーの元へ送ると言うシステムです。


(注:会報〔SPLASH WORLD〕は、メンバー専用のため、一般配布は致しておりません)



Splash World (ホームページ版)



1991〜2005年まで→NO.1

2006〜2018年まで→NO.2

2019年〜      →NO.3


NO.40

NO.41

NO.42
2006年
この年は例年に比べ青物が少なかったせいか、メンバーのジギング船オーナーにとっては泣きの一年でした。目立った記事では、藤岡氏の北マリアナ船中泊ツアーのレポートで、魚もここまで行けばいると言う事がわかりました。その他、No.42の北後 泰祐氏の老眼鏡の話では、他人事ではないと思ったメンバーも多かったのでは?
スプラッシュのメンバーも高齢化が進み、そろそろ若返りが必要になってきたかも・・・?


NO.43

NO.44

NO.45
2007年
 2007年は日本全国記録的な猛暑で釣りどころではないメンバーも多かったようです。目立った記事としては名古屋メンバーの宮島 康彦氏がマイボート(23ft船外機)を一人で操船し、130キロのクロカジキと格闘の末、ランディングに成功するという快挙! それに宮崎のメンバー、堀 辰義氏のレポートで、自作ロッドにこだわり、ヒラスズキを手中に収めるまでの熱狂的な思い入れが臨場感あふれるレポートで伝わってきました。
その他、小西 雅樹君のレポートでアフリカの外来魚(ナイルパーチ)が経済社会にもたらした様々な問題を描いた映画「ダーウィンの悪夢」について解りやすく解説されていました。決して日本の外来魚問題も例外でないということを認識させられました。


NO.46

NO.47

NO.48
2008年
 この年は、まさに異常気象ともいえる年だったと思います。
鳥取県で遊漁船を営む加納 喜可氏のレポートで分かる通り、従来だと青物が回遊してくる時期に、まったくと言っていいほど青物がいなかったりと季節がまるで一ヶ月半ほど遅れているとのことでした。
その他、高知県のメンバー上杉 一臣氏のレポートでは、ゲームフィッシュの頂点ともいうべきアカメを何とか釣り人の手で守っていこうという地元アカメフリーカー達の熱い気持ちが伝わってきました。


NO.49

NO.50

NO.51
2009年
 この年は、梅雨が長く雨の多い年でした。そのためか、水温が上がりきらず、青物を始め、イカやカジキまでが少ない年でした。
それでも、名古屋メンバーのカジキとの奮闘記やショアから青物を狙うメンバーの熱き戦い? の様子が伝わってきました。
目立った記事としては、NO49春号の小西雅樹氏の記事で、ハワイオアフ島で初挑戦で見事、ピーコックバスをフライでキャッチしたことや、名古屋メンバーの安保勝行氏の三重県和具沖でブリのナブラに遭遇、入れ食いとラインブレイクの連続などなど、今年も熱い年でした。


(20周年記念号)

NO.53

NO.54
2010年
 今年で我々のクラブ、SPLASHもめでたく創立20周年を迎えることができました。20周年の記念行事として、第15回串本オフショアトーナメントに一泊とまりで参加してきました。久しぶりに、地元串本メンバーや名古屋メンバーと豪華串本ならではの海の幸を囲み、20周年を祝う宴会で大いに盛り上がりました。SPLASHワールドも20周年記念号を発行することになりました。記念号ということで、VIPメンバーにも原稿を依頼したところ、予想以上に原稿が送られてきたため、市販のホッチキスでは閉じきれなくなり、急遽、業務用のホッチキスを借りてきて、なんとか閉じきることができました。今回は、SPLASH20年間の生い立ちや「20周年記念おめでとうございます」などの文章が目立ちました。


NO.55

NO.56

NO.57
2011年
 この年の3月には戦後最大の自然災害といわれる東日本大震災が起きました。全国的にみても異常気象ともいわれる時期外れの台風や大雨に見舞われました。そのためか、釣りの世界でも異変が起こり、釣れるはずの魚が釣れなかったり、釣れないはずの魚が釣れたりと異常な釣果が目立ちました。また、高知メンバーのアカメを取り巻く問題について積極的に活動している様子が会報を通じて伝わってきました。


NO.58

NO.59

NO.60
2012年
 この年も世間は相変わらず不況続きでした。SPLASHのメンバーにも多かれ少なかれ、不況の波が押し寄せてます。レポートの中にもやむを得ず、職業変えをしたとか、減給されたとかという記事がありました。それでも、釣りに対しては熱いものを持っているメンバーが多く、マニアックなこだわりのレポートが送られてきました。また、日本全国異常気象のためか、高知のメンバーを中心に大雨のレポートも目立ちました。なお、この年から会報の表紙のイラストは桜井氏に替わって奈良の小林弘明氏が担当。センスのいいイラストが送られてきました。
   
 
 

NO.61

 NO.62

NO.63
2013年 
 今年も異常気象のためか、思うような釣りが出来なかった人が多かったようです。毎回、チャーター船を予約していても、悪天候のため、出船出来なかったとか、大雨でいつも釣るポイントが潰れてしまったとか、釣果的にはふるわなかったメンバーが多かった年でした。また、今年で在籍10年を過ぎるメンバーも多く、クラブの「若返り」が必要かも・・・?
目立った記事としては、釣り道具業界に従事しているメンバーからのレポートで、釣り具業界にも異常気象の波が押し寄せているとのことでした。
   
 
 

NO.64

NO.65

NO.66
 2014年
 この年も異常気象の影響で思うように釣行できなかったメンバーが多かったようです。
けれども、限られた時間と費用の中で最大限に釣りをしようという心意気が伝わってきました。
在籍しているメンバーもすでに10年以上に達するメンバー(VIPメンバー)が全体の5分の4に達し、クラブとしてもそろそろ若返りが必要かも・・・?
     
 

(25周年記念号)

NO.68

NO.69
2015年
 この年はSPLASH創立25周年にあたり、SPLASH WORLD25周年記念号を発行しました。
25周年記念行事として、第19回潮岬オフショアトーナメントにチームSPLASHとしてエントリーしたほか、タイランドへ海外遠征に行きました。タイ遠征メンバーの一人である、小西氏のレポートからは、そのときの様子が紹介され、アマゾン釣堀やバラマンディ養殖池、メコンオオナマズ釣掘でのエキサイティングな釣行の内容が伝わってきました。
     
 

NO.70

 NO.71

NO.72
 2016年
 今年も相も変わらず悪天候に悩まされた年になりました。第20回潮岬オフショアトーナメントが雨で順延になったほか、クラブでチャーターしていたオフショア釣行が中止になったりと、思うように釣りに行けないメンバーが多いようでした。しかしながら、目立った釣果のレポートもありました。
70号の小林氏のレポートでは、初のメーターオーバーのアカメを手中に収めるまでの、72号の田中氏のレポートからはトカラ列島で初GTを釣り上げるまでの興奮が読者まで伝わってき、両名の足が震える様子が目に浮かぶようでした。
     
 

NO.73

 NO.74

 NO.75
 2017年
 この年は、大型台風の接近などによって、予定していた遠征が中止になったり、記録的な大雨のために、釣行できなかったりと、何かに悪条件の多い年でした。
それでも、マメに足を運んで釣果をあげた若いメンバーの活躍が目立ちました。
73号の記事のなかに、島根県の宍道湖のレポートがあり、その中で、地元の遊漁船は釣れたシーバスをキープしていた結果、最近ではグッドサイズのシーバスが激減したというのが書かれていました。
釣り人の与える人為的プレッシャーが自然界に与える影響について考えさせられるとともに、キャッチ&リリースの必要性を再認識するレポートでした。
この年から会報の表紙は滋賀県の田中大喜氏が担当することになりました。
     
 

NO.76 
 
NO.77

 NO.78
 2018年
 この年は、大阪北部地震から始まり、西日本集中豪雨、台風21号など天災が続き、なかなか思うように釣行できなかった1年でした。
しかし、そのような状況でも逆境にめげず、釣り場に通っていた若いメンバーの活躍が昨年と同様に目立ちました。
78号の奥村大輝氏のアカメ狙いでの高知遠征のレポートでは、人生初のメーターオーバーのアカメをランディングするまでの様子が、臨場感あふれる表現で書かれており、氏の興奮が読者にも伝わってきました。
ボウズでもめげずに現場に通う大切さをベテランメンバー全員が再認識させられました。





index に戻る